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はやし健康整体院ストーリー

お客様から「なんで整体院をやろうと思ったんですか?」と聞かれることが結構あります。なので今回は、はやし健康整体院開院までのストーリーを書きたいと思います。お暇な時にでも読んでいただけると嬉しいです。

僕は広島県三原市八幡町出身です。三原市は工業が盛んで、まあまあ栄えているのですが、八幡町は信号が1つしかなく、コンビニもない自然あふれる緑豊かな町です。

そんな町で林家の3人兄弟の長男として生まれました。自然いっぱいの町なので、家で遊んでいるよりは外で暗くなるまで遊んでいるタイプの子供でした。

両親は共働きで、仕事から帰ってくるのが遅いため、僕たち兄弟の世話をしてくれたのは祖父母でした。

幼稚園の送り迎えも、ご飯を作ってくれるのも、お出かけに連れて行ってくれるのも祖父母で、自然とおじいちゃん子おばあちゃん子になっていました。特におじいちゃんが大好きで一緒に畑や山にいったりして遊んでいました。

田舎のため近所付き合いも多く、祖父母以外の高齢者との関りも多く、それがきっかけで、高齢者施設で働きたいと思うようになりました。

介護士になることを目標に福祉コースのある高校に進学したのですが、実習中に作業療法士という職業があることを知りました。作業療法士という職業も高齢者施設で働くことができ、リハビリで高齢者を元気にできるというところに惹かれ、山梨の医療系大学に進学しました。

大学生活はとても楽しかったのですが、実習は本当に辛く、1日1時間の睡眠で8週間過ごし、ストレスで過食しては毎日吐いていました。終わった時には7キロ体重が落ちていました。そんな辛い実習もなんとか乗り切り、無事に国家試験に合格し、長野県に就職しました。

仕事は覚えることも多く大変でしたが、毎日楽しく仕事をしていました。彼女ができたり、大好きなフェスやライブに行き、プライベートも充実していました。

しかし、当時の私は国家試験に合格し就職できたことに満足し、ろくに勉強をしないまま働くダメな作業療法士でした。自分の現状に気づかせてくれたのは上司の言葉でした。

「今の状態だと、どんどん後輩も増えてくるんだから、リハビリ職としてやっていけないよ」という厳しいお言葉でした。

上司のおかげで、自分の知識や技術不足に気づいた時、働き出して7年経っていました。慕ってくださっている利用者様の顔が浮かび、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そして成長しようとしなかった自分にとても腹が立ったことをよく覚えています。

そういった気持ちになってから、私はすぐに行動を開始しました。リハビリの専門書での勉強だけでなく、いくつもの技術系セミナーへ参加をしました。そんな中、出会ったのが操体法でした。近くに操体法を学べるところがなく、毎月東京まで通いました。

少しずつ知識がついてくると、以前より利用者様の身体の状態が分かるようになり、自信をもってリハビリに取り組むことができるようになっていました。利用者様から「リハビリやってもらって歩きが良くなった。ありがとう」と言ってもらえたときは最高に嬉しかったです。

学ぶようになってから1年半が経ち、自分が学んだことを還元できないか、恩返しがしたいと思うようになりました。高齢者は腰や肩、膝の痛みなど多くの問題を抱えている方が多いです。もっと早くから、身体が悪くなる前に関わることができたら、高齢者になっても健康で過ごすことができるのでは、と考えるようになりました。

「多くの人たちの20年後の幸せと健康に関わりたい」

これが整体院を始めるきっかけでした。

伊那市、辰野町、箕輪町の方で、腰痛や肩こりにお悩みの方は当院へご相談ください。

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